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■12連載コラム 世界をウオッチングする

□寄稿に寄せて
明治大学の学生時代、「時代が変わっても、そこにある事実や状況を正確に把握することが、すべての基本である」と教わり、徳永ゼミでは各地に出かけ、現地をよく観察して議論し、臨場感のある中で判断して将来の展望を見極めることをやっていた。
人生の大部分を過ごしたUR時代やその後の職場でも、この基本が私の中で生き続けた。
たまたま仕事で知り合った“NHKの報道の黎明期”を作られた方から「NHKもニュースの信頼性を勝ち取るため、現場をしっかり確認して報道した」というお話を伺い納得した。
若いころは夢だった海外旅行が手軽に行けるようになって、直接現地に行き見聞したいという好奇心から、3連休があれば1日休みをもらい3泊5日(5日目の朝成田に着き、そのまま出勤)で中国やアジア方面、5月の連休や夏休みは、ヨーロッパや北南米などに出掛け気付くと、渡航回数87回、訪問国74か国になっていた。
世界各地の現地で見たこと、聞いたこと、気づいたことなどを「世界をウオッチングする」としてシリーズで掲載したいと思う。
□作者略歴
つげの会9期生、 1938年新潟県三条市生、1961年明治大学工学部建築学科卒業、同年日本住宅公団(現UR都市機構)入社、本社建築部長等を経て1995年住宅・都市整備公団(現UR都市機構) 関東支社長,
1997年(株)新都市ライフ、2007年(公財)アーバンハウジング勤務、現在日本都市計画家協会会員 東京都練馬区在住
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□ 世界をウオッチングする62 
世界遺産で世界第2位のサンゴ礁―ニューカレドニア(フランス領)
成田から8時間弱、ニューカレドニアの首都ヌメアに着く。この国は四国程の大きさで人口約27.5万人、ニッケル等産出する鉱業の島である一方リゾート地でもある。通貨は数年前訪れたタヒチと同じパシフィックフランであった。
海辺の繁華街にある土産店に入ると日本人の男性が経営している店で、最近はフランスからの移住者も多いとの事。リタイアした年配の人にとって、ここの気候は体にも心にも優しいらしい。
また、日本からは19世紀後半にニッケルが発見され、労働力が足りないので1892年600人の日本人男性が5年契約で海を渡った。主に九州、沖縄から第二次大戦が起こるまで5600人程がが移住したという。契約が終了後、現地に残って結婚した人もいて、様々な仕事(菜園、塩田、商業、漁業、仕立屋、大工、鍛冶屋など)をして成功し現地社会に定着していたが、真珠湾攻撃からから状況が一変して敵国人として刑務所に入れられ、オーストラリアの刑務所から日本に返され、それまで築いた財産も没収され、家族と生き別れになった、悲しい歴史がり、8000名位の日本人の苗字を持った日系移民の子孫がいるという。
ニューカレドニアで泳ぎたいということで先ずプールへ。そして浜辺へ。そでは意外に泳いでいる人が少なく数えるほどだった。海では殆どの場所で海底に散在するサンゴのかけらが足裏にあたり痛く快適ではなかった。これはグアムの海に似ていた。一方で風が強くウインドサーフィンをしている若者たちが大勢、凄いスピードを出し競い合っており見てるだけでも楽しかった。
街に出てマルシェへ。日本では見られない、色々な野菜や果物、南国らしいカラフルな魚が並べてあり、興味深々で売っている人と片言単語で楽しんだ。
海も景色もさらに美しいという船で10分程のメトル島も訪ねたが、島内にホテルがあり、水上コテージがまた景色を際立たせてていたが、ここがあの印象的なポスターに出ている景観であると確認した。
訪ねて分かる日本との関係の深さと戦争の傷跡、そして自然の美しさ、色々考えさせられる旅になったのである。
【世界をウオッチングする62 おわり】
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□ 世界をウオッチングする61 
「黄山を見ずして、山を見たというなかれ」に誘われ―黄山(中国)
古来から仙境とされてきた中国随一の名山の黄山は上海から飛行機で1時間黄山屯渓国際空港から車で約1時間半の黄山北駅から入る。
いよいよ黄山へ。大きな荷物は麓の店に預け、小分けにしたバッグのみを持ってロープウェイに乗り山頂へ。雨が上がり少し見えはじめた名物の雲海を気にしながら階段を登ったり下ったりを繰り返して標高1600mの険しい山頂に建つホテルに到着。改めてホテルの大きさ、立派さに感服した。一方で暖房が効かず寒かったことを覚えている。
広い黄山山中に数え切れない程の石段や、険しい崖の中間などにある通路や手すりなど、すべてしっかり頑丈に造られていた。下を見ると目もくらむ程の危険な場所での作業をよくやったものだ。さすが、万里の長城を造った人のやることは凄い。機械等使えずすべて人の手で作ったようである。
翌早朝、ご来光を見に行くため早起き。部屋に備え付けの防寒着を着て出掛た。霧は無かったので期待したが少しピンク色の朝焼けの空のみ見えた。朝は凄く寒かったが日中は快晴で暖かくなり、重ね着を次々脱いでいった。石段を降りたり登ったりするので膝が痛くならないように、昨日ロープウェイの駅で買って来た杖を使って歩いていたが、同行のガイドの教え通りにすると痛くならず助かった。天気が良すぎて雲海を余りみることが出来なかったが、黄山の絶景を堪能出来て幸せであった。今回、疲労で石段を登る際、いくら頭で指令を出しても足が上がらないという貴重な初めての体験もした。
日程を終え、ロープウェイで麓の屯渓へ。老街の古い街並みの商店街を散策し帰国の途についた。
黄山は多くの文人が憧れ、水墨画,漢詩などの題材になる、1990年世界遺産に指定された素晴らしい山岳景勝地であった。
【世界をウオッチングする61 おわり】
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「世界をウオッチングする」by 井上 十三男
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